2009年5月30日土曜日

昨日の山崎大戦であったこと

 前の記事で最初どれだけハチャメチャだったか少し書きましたが、その後どうなったかを少し書きます。
 配置は前回同様左端に信長と才蔵・鹿之助ペア、中央に卜伝と官兵衛、右端に秀吉・アマリア・半兵衛を置きました。で、最初は中央から攻略したのですが、どうにも官兵衛が岩場の背後から攻撃するのでぜんぜん弓が届かなかったところから、卜伝をある程度進めたあとで官兵衛を手動にして卜伝とほぼ同じところに行かせたら、孫市の前にいた騎馬隊が来てしまい、すぐにまた卜伝に手動を切り替えて官兵衛に弓攻撃させることにしました。が、官兵衛がのけぞり続けて攻撃にならない。小窓にでてきたCGで見る限り、あののけぞり方は弓矢によるもので、それだといつも最初に攻略する敵の弓騎馬によるものということになるんですが、CPU操作でその部隊には家康たちが行っているはずだったので、これは博多大戦の現象と同じことになっているとしか思えず、これまたやりなおし。確か家康も官兵衛と同じ方向にいたはずなのにこういうことが起きていたとなると、敵は融通が利くのに味方は融通が利かない(絶対に最寄の敵しか攻撃できない)という許しがたいことがこのゲームにはあるということに…。
 その次ではまあほぼ順調に孫市以下3軍を倒せたので、CPUでそのまま藤孝攻略をさせました。万一のことを考えて(それにこのあと中央は当分戦いがないため特技ゲージが使い放題ということもあり)卜伝に変化を使わせたらいい感じでした。で、その次に操作したのは、最初に壊滅寸前になった秀吉。防御させまくって攻撃は半兵衛に任せたら大きな負傷者なく進められました。アマリアのほうが敵軍が逃げまくったために苦労していましたが、まあ許容範囲でした。そのあとはいつもどおりアマリアに半兵衛を付け替えてボナペンツラのところに行かせたら、今回もボナペンツラ横の部隊は消えず、この部隊撃破後に秀吉がいたところにいた敵軍が消えました。このあたり、少しでも攻撃をしていたらボナペンツラ横の部隊は消えなくなるのかなとちょっと思っています。
 この次は個人的には一番の難関の三人衆のところ。前回同様信長を囮にして攻略。ここは本当にいかに早く友通を攻略するかで決まりますね。これが済んだら各敵軍に大喝をかけてとにかく鹿之助にバンバン撃たせて終わらせるようにしました。
 この後は長宗我部、島津(いつもだと荒木村重のところなんですが、三人衆のところで特技ゲージを使い果たしてしまったので回復を待つためあとまわしになった)、荒木の順に攻略。ここでも信長が騎馬突撃してもさえず(村重に防御されまくり)、逆に敵兵に追い掛け回される羽目になった(弓騎馬相手でも押し返されるのに騎馬相手では勝てるわけがないので相手にするのを避けざるを得なかった)ので、この時点で信長は見捨ててそのままそこに放置、そのほかの軍で、ペドロや義昭を倒していった次第。結局義昭は半兵衛が、ペドロは鹿之助が討ち取りました。
 いい加減信長に嫌気がさしたので、この週末はちょっと休もうと思います。その代わり本気で手書きの攻略図を考えてみようと思います。